生まれて初めて、女性用の靴を見て、美しいと思った瞬間を覚えている。
同僚に小柄なんだけれども、とてもかわいらしい女性がいた。彼女はそのか弱い外見とは裏腹に、なかなか骨太な気骨のある人だったのだけれど、服装はエレガントで、いつもまわりをうっとりさせていた。
そんな彼女と仲のよかった私は、仕事帰りにカフェで愚痴のこぼしあいをしたり、一緒に買い物に出かけたりしたことがある。
そんな彼女が一度、修理に出した靴を取りにいくのに付き合ったときのこと。彼女のお気に入りの店は路地を入ったところにあった。店内には所狭しと並んだ靴。ぼんやりと眺めていた目の先に、それはあった。
色はそう、栗色というのだろうか、深みのある茶色、でもどこか甘い感じのする、女性的な色合いのそれは、小ぶりのピンヒールだった。
今まで女性の靴をしげしげと見たことはなかったのだけれど、そのときは思わず手にとってしまった。その美しさに感動して。
それ以来だ、女性用の靴をときおり観察するようになったのは。
仕事先に向かう道すがら、通学途中の大学生をよく見かける。
彼らの服装にはいくつかの共通点がある。まず、男子学生はほとんどといっていいほど、手ぶらだ。そして、なぜかノート一冊を半分に折りこみ、尻ポケットにねじ込んでいる。中には手に抱えてくる学生もいるが、これも同じようにノート一冊(あるいは数冊)。かばんを持ち歩く学生は少数派だ。おそらく、かばんを持つというのは彼らの美意識に反するのだろう。外見を気にする年頃とはいえ、勉学の徒である身分を考えると、つい苦笑してしまう。
そして、女性といえばそろってヒールの高い靴を履いている。それが日本で見かけるどころの高さではない。優に10センチはあろうかというヒールもざらだ。
ただ問題は道である。ここバクーの道はあまり舗装がきちんとなされておらず、ところどころでこぼこしている。ヒールで歩くには適していない道なのだ。
それでもお構いなしに彼女たちはヒールを履く。「闊歩する」という表現を使いたいところだが、残念ながら、道が道だけに、彼女たちの歩みは及び腰だ。
そのためか、彼女たちが道を連れ立って歩くと、ちょっとした渋滞になる。急いでいるときはややいらいらしてしまう、せっかちな日本の私。
ヒールの高さは女のプライドの高さ。そんな言葉を聞いたことがある。異論はあるだろうが、ここアゼルバイジャンではあながち間違いとはいえない。以前も書いたことがあるが、ここアゼルバイジャンでは気安く男に笑顔を振りまいたりはしない。それはだらしない女のすることだ、という考え方がまだまだある。
最初はつっけんどんな女性たち(特にサービスを提供すべき商業的場所において)の態度にややおののきつつ、時に不快な思いをしたりした私ではあるが、だんだん彼女たちの立場を理解するようになった。
多少の例外はあるにせよ、アゼルバイジャンには驚くほど幼稚な男性が多くいる。バクー出身の友人たちは口をそろえて、「ああ、田舎から出てきた人たちですよ。」と私に言う。
ここで、バクーとそれ以外の地域の差ということも背景知識として必要だ。バクーはこの国の石油資源の利益をもっとも享受している場所であり、石油関連の仕事をしている外国人も多い。英語も思ったよりは通じる。しかし、田舎はまったく別世界だ。そこには土着的な人間関係の中で、ゆるやかな時間を過ごす人々が多い。よく言えば素朴、悪く言えば洗練には程遠い、やや社会性に欠けた人々といえるかもしれない。
しかしグローバル化はここでもその波及を止めない。田舎に住むものも、雇用のチャンスとそれに付随する富を求めてバクーへとやってくる。現在バクーにはそういうさまざまな階層の人々がひしめき合っている。
そこで、男たちを警戒する彼女たちの気持ちもなんとなく察せられる。「あわよくば」という有形無形の不躾な投げかけから、自らの身を守る必要がある場所なのである。
私は想像する。
早朝、ワードローブを眺めながら、今日着ていく服をコーディネートしつつ、髪を梳き、メークをする彼女たち。出勤、通学前のあわただしい中、深呼吸をして、外へ出て行く準備をする。
そして、彼女は今日もハイヒールをはく。
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