ここ最近、"Ally McBeal"をDVDでずっと見返している。
DVDは本当に便利だ。日本語字幕から英語字幕へと切り替えが可能なので、英語の勉強にと英語字幕で見て、わからないところは日本語字幕に切り替える。
そこで気づいたのが、翻訳の面白さだ。非常にぴたっとはまった日本語訳に置き換えてある。さすがプロは違うなあ、と思う。その英文の持つニュアンスをコンテキストから浮かび上がらせ、それにぴたりとはまる日本語を字数制限のある中で見つけるのはなかなか大変な作業だと思う。
ただ、字数制限のせいか、あえて訳されてない細かな部分もある。そういった違いを楽しむことができるのも、このDVDの機能のおかげである。
このドラマから学んだことは多いし、今でも見返してて、ああ、と気づくことがある。
主人公のAllyは訴訟弁護士なのだが、キャリアウーマンとしての彼女の葛藤や扱われる興味深い訴訟問題、そしてなんとも珍妙な同僚、上司たちが入り乱れて、毎回とてもおもしろく、そしてこっけいな中にも深く考えさせる鋭いものを含んだ内容だった。
いくつかお気に入りの台詞があるのだが、その中でももっとも印象に残っているのが、Season 1の最後で、Allyの心の友でもある上司のJohnが言った言葉である。
「過ぎ去った一年を思い返してごらん、もし悲しみの涙も喜びの涙も流れなかったら、その一年は無駄にしたってことさ。」
すごくお気に入りの言葉なので、その後何回かカードや手紙のメッセージに引用させてもらった。
そこにある思いを込めながら。
職場で号泣したことがある。
突然だった。涙が目からというより、のどの奥から何かがこみ上がってくるよな泣き方だった。まっすぐ前を見ることができず、ただただ背中を丸めてうつむいた。
正面には主任が座っていた。
主任がどんな顔をしていたか、わからない。見えなかったからだ。
その日、職場のある人物の進退に関わる決断と迫られていた。私は主任ではなく、部長と話して、その決断を下した。それは、その人物を励まし、なんとかよい方向に持っていこうとしていた自分とは相反する厳しい内容であった。しかし、組織としてはそれが正しいことなのだと思ったし、私は感情的に物事を判断したくなかった。
その後、主任との話し合いで、主任はもう少し寛大な決断をしてはどうかという提案をしてきた。たぶん、その人物の将来を慮って、そして、私の気持ちも推し量ってのことだったと思う。
しかし私はかたくなだった。理を説いて、なんとか部長と下した決断を通そうとする。そんな私を前に、主任は冷静な態度で自説を繰り返す。
「私だって苦しいんです。」そう口についたとき、頭の中で、空き缶を足でつぶすような鈍い音が聞こえた。奥歯を噛み締めると、涙はあふれた。そして、とめることができなくなった。
机の上にできた水溜りを、主任は見ないようにして、「じゃあ、今後の対応は私に任せてください。」と一言言って、席を立った。
私は顔を上げずに、そのまま非常階段へと走り、そこでくずれおちた。
その日、どうやってほかの同僚に目を真っ赤に腫らした顔を見られないように帰ったのか、記憶がさだかではない。ただ、主任が帰りに飲みに誘ってくれたことを覚えている。
その職場には3年間お世話になった。その主任を尊敬してはいたが、意見の相違からよくけんかもし、ときにお互いに険悪な態度をとったこともあった。仲のいい同僚もいたけれど、それ以外の上司、同僚とはそれほど仲がよかったわけではない。
だから、辞めるにあたって、さびしいとか、悲しいとかいう気持ちにはなれなかった。それよりも、次の勤務先のことや、それにまつわる瑣末な雑用のほうが私の頭の中を占めていた。
私の送別会は、新任者の歓迎会と同じ日になった。大勢の新任の歓迎の隣で私一人の送別会。その場で初めて私が辞職することを知った同僚もいた。それでいい、と私は思っていた。あまりに大仰に送り出されても恥ずかしいだけだという思いがあった。
花束をもらい、その後二次会三次会に付き合った。送別会だけあって、日ごろあまり私を言葉を交わすことのない同僚もいろいろな言葉をかけてくれた。ありがたいな、と素直に思った。
花束を自転車のかごに入れ、夜道を家路につく。玄関に入り、自分の部屋の電気をつけた瞬間、私は涙が止まらなくなった。その職場での3年間のすべてが、いとおしい瞬間の連続へと変わった。私はただただ、涙が止まるまで、泣き続けた。
そんなふうに泣いてばかりの私だが、若いころ(20代前半)は泣いている人を見て、しらける気持ちが強かった。正直、かっこ悪いなと思っていた。
そう思ってた自分が、なぜか今は泣くことを肯定している。その理由を考えてみる。
20代前半まで、私は物事をすっぱりと白黒つけるタイプの人間だった。口調も非常にきつかったし、物事に対して、今以上に批判的だった。
でも、仕事を始めて、多くの人と接し、一番に学んだのは我慢強くなることだった。そして、我慢することで、私は人をもっとより長く、深く見つめるようになったと思う。長く、深く見つめることは相手への理解と共感につながった。共感は私にも相手と同じ感情をもたらした。
そして、私は気づいた。私は自分が思っているよりも感情豊かな人間だということに。
感情は時に自分でももてあましてしまう、荷の重いものだ。でも、それなくして人生に彩りは生まれない。その感情の発露が涙だとしたら、涙を流すことで私たちは喜びも悲しみもその両手に抱きしめることができるのだと思う。
そんな感情を揺り動かすことの積み重ねこそが、人生の豊かさなのではないだろうか。
人生の豊かな実りを祈って、私はこのメッセージを送る。
「過ぎ去った一年を思い返してごらん、もし悲しみの涙も喜びの涙も流れなかったら、その一年は無駄にしたってことさ。」
そんな涙の向こうに、たぶん私たちの求めているものが待っている。そう信じることが希望なのかもしれない。
"All of the happiness you seek, all of the joy for which you pray is closer than your think, It's just 100 tears away" (君の捜し求めている幸せや喜びのの全て、それは案外近くにある。100回泣くことになっても。)
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