4年半前、特大スーツケース2個とともにバンコク・ドンムアン空港に降り立った私の頭にあったのは、
「翻訳の仕事を1日3時間くらいこなして、あとはビーチで日長のんびりしながら、本を読んだり、映画を見たり…」
というバラ色の楽園生活でした。
しかしその後の現実の私の生活は、理想とはかなり異なるものでした。
最初の3年間は、日本から受注する翻訳で忙殺され寝る間もないほどの忙しさ。残りの1年半は、会社の設立やらゲストハウスの開業やら...。そして現在は2つの新事業の準備。合計で7業種にまで拡大した多角化のおかげで、ビーチに行くなんて夢のまた夢...という状況が続いています。
かつてバックパッカーだった頃、海外に出かけるために成田空港で出発を待っている時は心が躍ったものです。しかし最近は、成田に着くと、暗澹たる気持ちに駆られます。戦場に赴く兵士の心境に近いかもしれません。
いくら「南国の楽園」でも、定住して会社など興すと、日本並みに(またはそれ以上に)忙しくなってしまいます。タイを楽園と感じたことは、移住して以降一度もありませんでした。苦労の連続でしかなかったような気さえします。
こんなことを言う友人がいます。「まんじは会社の社長になって、南国タイでうまいことやっているなぁ... うらやましい限りだよ」
確かに端から見れば、そう見えるのかもしれませんが、最近の私には、むしろ日本でのサラリーマン生活が、バラ色の生活のように思えてなりません。隣の芝生は青く見えるということでしょうか?
かつて私は、「会社の社長というのはふんぞり返って人に命令しているだけ。実に楽な仕事だなぁ」と思っていました。
でも実際に会社を興してみて 、「会社の社長というのは、誰よりも一生懸命働かないとダメなんだ」ということに気付きました。社長が遊んでいたら、従業員の心は離れ、みんなが怠けていき、きっと経営は傾くでしょう。
あるコンサルタント会社の社長さんから次のようなアドバイスを受けたことがあります。
「会社を作ったら、何でもかんでも自分一人でやろうとしたらダメですよ。どんどん有能な人材を雇って作業を分担し、任せていかなければ、体が参ってしまいますよ」
確かにその通りだろう、と思って、これまでは、
日本人を雇って→作業を分担し→楽をしよう
というアプローチで負担軽減を目指していました。
しかし、(少なくとも私の場合)このモデルはうまく働かないことが分かってきました。普通の日本人の社長さんなら、これでうまく行くのかもしれません。でも私の場合はちょっと事情が違うのです。
- 京都大学という、日本では特異な個人主義的な世界に身を置いていた(これはかなり自分の価値観に影響を与えている)
- その後、世界各地を旅し、見聞を広めることに努めてきた
- また、世界各地の友人との積極的な情報交換に努めてきた
- 翻訳という孤独な作業を「生業」(なりわい)としてきた
- 日頃の情報ソースは8割方英語である(日本発のバイアスのかかった情報源はあまり当てにしていない)
これらの要素が絡み合った結果、典型的な日本人的価値観とは異なる価値観を持つようになったのだと思います。米国化(アメリカナイズ)、欧化 (ユーロパナイズ)ともちょっと違う、コスモポリタン(世界主義)的とでも言うべき価値観です。
この結果、日本人の考え方に馴染めないという深刻な状況が生まれました。
もちろん日本人全員ではありません。友人やお客さんとして、多少距離を置いた付き合いであれば何の問題もないのです。和やかに歓談し、実に楽しいひとときを持ったりできます。「親友」や「友だち以上恋人未満」の知人、友人たちもそこそこはいます。でも仕事などで長期にわたり(距離が近い状態で)一緒にいる時間が長くなるとストレスが溜まりまくってしまうんですよね...
日本人同士だと言葉が100%楽に通じます。これは高度な情報交換は可能になるというメリットがある一方で、余計な(ストレスフルな)情報がたくさん入ってくるという欠点もあります。噂とか悪口とか... こうしたストレスが原因でいらぬ口論になったりもします。狭量な日本的価値観に嫌気が差すこともあります。
もちろん、私も根っこは日本人ですから、日本人としての常識はわきまえています。本音と建前を使い分けたり、日本的な儀礼的コミュニケーションの方法も把握しています。これらがなかったら、日本人のお客さんやクライアントとのビジネスはできませんからね。ただ、それらの日本的な振る舞いを積極的に実践することについては、必ずしも快くは思っていません。
タイ人や欧米人との人間関係でも「ストレスフル」な要素はいっぱいあるのですが、日本人との関係ほどには大きな「ストレス」にはなっていません。(この原因について語っていくと「日本人とは何か?」という壮大なテーマに挑むことになってしまいますので、今回は割愛します)
最近では、自分は Japanophobia (日本嫌い) なのかもしれない、とさえ考えるようになりました。
今年末~来年にかけて、再び知人・友人たち(日本人・日本人以外)が、当社の仕事(語学教育事業部・Web制作支援&運営事業部)を手伝いに来てくれますが、今度は人間関係に起因する摩擦を最小限に抑え、円滑な協業を実現していく上で、皆さんには、ある条件のもとで手伝っていただこうと思っています。
- タイ語・英語の基本的なコミュニケーションが円滑に図れること
(タイ語は基本1000単語程度、英語は2000単語程度) - 特に、タイ人スタッフへの指示が円滑に行えること
- 大きな声を張り上げないこと(これはタイ人が一番嫌いです)
- 人前で叱らないこと(必ず別室に呼んで静かに叱る)
- (タイ人に向かって)机を叩いたり、ものを投げつけることは厳禁
- 当初は、自分は「管理職」だという態度を見せず、新人として(タイ人に対して)謙虚に振る舞うこと
- タイ人を見下すような態度は決して取らないこと(差別的態度は墓穴を掘ります)
- 日本的な価値観を前面に出さず(押しつけず)、タイ人スタッフ(およびタイ化した私)がストレスを感じないようにしていただくこと
- プライバシー確保の観点から、住居は別々にすること
(まんじ邸への滞在・立ち入りは原則としてご遠慮いただく) - 日頃はSOHO的な勤務スタイルにて業務を行い、必要に応じて「出勤」する勤務スタイルにすること
- 業務上の打ち合わせは基本的にタイ語または英語で行うこと
(当社の公用言語はタイ語と英語になっています) - SPS Thailand は疑似家族経営的な特徴を持っているが、コミュニケーション能力が十分でないうちは、この家族的な「和」に入り込もうとせず、距離を保つこと(かなりの高確率で摩擦が生じます)
タイ人スタッフや私との摩擦を未然に防止し、長期にわたり良好な協業を行っていただくには、上記の条件が必須であると考えています。これによって適度な緊張感が生まれ、長期的に持続可能で生産的な協業体制を確立できます(要は今まで、あまりに和気あいあいとし過ぎた緊張感がないものであったということでしょう)。
最近いくつかの記事で書いているように、私は多分にタイ化(退化)もしていますので、「まんじは自分と同じ日本人である」と考えないほうがよいと思います。「日本語が堪能などっかの国の人」みたいな感じのほうが付き合いやすいでしょうね。SPS Thailand は日系企業であるという先入観を捨てる必要もあります(うちは日系だけど、必ずしも日本的な企業ではありませんので...)。
コミュニティサポート事業部(ゲストハウスやレストラン)については、非タイ人(日本人、外国人)の支援はほとんど必要なくなっており、今までのように「住み込み」でのお手伝いは不要になっています。新事業(語学教育事業部・Web制作支援&運営事業部)については、SOHO 的な協業でもかなり円滑に作業を進められると思いますので、原則として在宅勤務、必要に応じて出勤(ミーティングや仕入れなど)すれば問題ないかと思います。
直近でタイに来てくれるのは、Yuko さん(11月来タイ予定)ですが、ちょっとハードルが高くなってしまって申し訳なく思っています。語学習得支援や居住場所の確保などは、私も全面的に協力します。ご協力のほどよろしくお願いします。来年以降も、日本語講師を中心に、数名の人がお手伝いしてくれることになっていますが、今後も上記の方針には変わりはありません。
これまで無数の経営書・起業指南書や関連 Web サイトを読みあさってきましたが、どうもぴったり来る解決法が見つかりませんでした。日本語の経営・起業指南書は「日本人のためのもの」、英語の経営・起業関係の本は「欧米人のためのもの」であって、コスモポリタン的な経営スタイルとタイの田舎の家族経営的要素(スタッフが田舎者ばかりなのでしょうがない)が融合した当社には、一般的な経営理論をうまく適用できるはずがありません。(マーケティングや顧客ニーズについてはOKですが人事管理はほとんど全滅...)
この結論に到達するまでに実に1年半もかかってしまいました。でもこれまでの暗中模索状態からは一歩抜け出た感じがしています。後は、経営がスムーズに進むよう、方向付けだけは誤らずに進んでいきたいですね。
いつの日か、心の底から「タイは楽園だった!」と思える日が来るまで、より一層の精進を続けていきたいと思います。
→ 多分に日本的発想かと...(笑)


Comments
菅野 龍磨 さんのコメント
タイで簡単に会社がつくれるのでしょうか?コスモポリタン的な会社運営方針には感心しました。日本語のうまい日系外国人がいいと思います。
僕は日本語しかしらない在日日系人でいたいと思います。
今、タイ語を勉強しようとしています。
学校では英語とロシア語を勉強したけど何も身につかず役にたちませんでした。
Posted by: 菅野 龍磨 | 2007年10月31日 02:25